第一部:ディ・グレフェンとの出会い
 〔第五章1987年フレンチオープン〕

                       
 

春のパリ。手に手を取って恋人たちが歩く多くの魅力あふれる庭園 。シュテフィはこの街もフレンチ・オープンも大好きだったし、フランスの人々はこの大会に大きな尊敬と愛情をそそいでいた。

しかし、それにもかかわらず、冬の寒さが去り、夏へと移り変わっていくこの季節、シュテフィが滞在したいと思っているのはパリ以外のどこかだろう。ここに着くやいなや、彼女の目はちくちくし始め、頭は痛みだし、鼻づまりが始まる。「グラフさん、私たちにできることはあまりありません。残念なら、あなたはパリアレルギーのようです」医者はまた彼女にこう診断を下すのだ。

それにもかかわらず、シュテフィは毎年ここにやってくる。それはフレンチ・オープンがグランドスラム大会だからというだけではなく、ここが彼女の最初の大成功の場所だからだ。パリほど彼女の心に深く刻まれた街はない。ほかのどこの国より、おそらく彼女の故国ドイツよりもフランスはシュテフィを常に暖かく包んでくれる。パリでは観衆の暖かな愛情が彼女を取り巻いている。それを彼女は試合中のチェンジオーバーのチェアであらためて知り、心からその愛を享受することを学んだ。

シュテフィがファンをないがしろにしているとか、多くのファンのサポートに感謝していないと非難を受けたのはそれほど昔のことではない。しかし、それは事実とはおよそかけ離れている。そして、成長した彼女は昔以上にファンのサポートを必要としているのだ。

シュテフィとフランスの観衆との愛情物語は1987年のパリで始まった。彼女は前年の準々決勝進出でパリの人々の注目を集めてはいた。しかし、本当の意味でパリジャンたちに選ばれたのはこの年だった。

三月のリプトン選手権でマルチナ・ナブラチロワとクリス・エバートを連破するという素晴らしい成績を手に彼女はこの大会に乗り込んできた。序盤でのシュテフィのパフォーマンスはトーナメントでの語りぐさになった。早いラウンドでのスコアはフレンチのスコアボードでその後何年もの間すっかりおなじみのものとなる。バルトスとブダロバは一回戦と二回戦、全く同じスコアで負けた。6−1,6−1。

しかし、ブダロバの同国人ヤナ・ノボトナはもっと惨めなスコアで敗れることになる。6−0,6−1。三回戦でのシュテフィの見事な動き、素晴らしいショットの連続に観衆はただ「ああ」とか「おお」と感嘆の声をもらすばかりだった。ヤナ・ノボトナは何年か後にはシュテフィのライバルの一人とみなされるようにる。しかし、この前途有望なサーブ・アンド・ボレーヤーを完全に打ちのめしたことで、将来の偉大なチャンピオンが誰なのかをシュテフィはフランスの観衆にはっきりと印象づけた。

シュテフィは対戦相手をなぎ倒してやすやすと準決勝まで進んだ。そこでは彼女のティーンエイジのライバル、ガブリエラ・サバティーニが待っていた。初めのころの何年かのふたりの試合は、常に素晴らしいプレーばかりではなかったにしても、いつも緊迫し、興奮とドラマに満ちていた。ガブリエラはクレーでのプレーを得意としており、彼女の力強く高く弾むストロークはパリにあっていた。ガビーはシュテフィをベースラインに釘付けにし、彼女のプレーのリズムを崩すことができる数少ないプレーヤーの一人だ。

二時間に及ぶ強打の応酬の末、ガビーは自分がファイナルセット、5−4でサービング・フォー・ザ・マッチを迎えていることに気がついた。ふたりの若いプレーヤーにとってそれはどんな瞬間だったことだろう!ガブリエラは初の決勝進出まであと4ポイントのところにおり、シュテフィはプレーヤーとしてこれ以上望めないほど素晴らしい春のシーズンを終えた末の敗北まであと4ポイントのところにいた。

ふたりのプレーヤーがチェンジオーバーのチェアを立ち上がった時、彼女たちの個性の違いがはっきり見て取れた。シュテフィは素早い歩調で彼女のベースラインへと急ぎ、ぐっと頭をそらしてネットの向こうのガビーに顔を向けた。彼女のボディラゲージはひとつの言葉を語っていた…断固としてやり抜く。ガビーはちょうどベースラインにたどりついたところだった。そのゆったりとした歩き方はネットの向こうのスーパーチャージされたエネルギーとは鋭い対象をなしていた。

ガビーがサービスを放った。何年か後にはサバティーニのサーブの威力は目に見えて衰え、彼女のファンはこうした瞬間にため息をもらすようになるのだが、1987年の頃はそうではなかった。彼女のファースト・サーブとそれに続くいくつかのスロークは良く、彼女は最初のポイントを取って15−0とした。

次のポイントは典型的なグラフ−サバティーニの決闘になった。ラリーがえんえんと続き、観衆は今にもラインを割るのではないかと思われるようなアングルショットに息をのんだ。29回目のストロークでガビーの角度をつけたバックハンドがサイドラインを割った。ふたりは回復のために長い間合いをとらなければならなかった。ベースラインに立ったガビーは息が荒く、シュテフィは鼓動を元のリズムに戻すためにあたりをゆっくり歩いた。

次のポイントは短く、その次のポイントでシュテフィはネットに出てオープンコートにボレーを決めた。15−40、ブレークポイントふたつ。シュテフィはベースラインに帰りながら、ラケットを小さく投げ上げた。試合をものにするチャンスが見えてきたことへの軽いお祝いだ。ガビーのサービスにシュテフィは火の出るようなバックハンドのクロスコートのウイナーで答えた。試合は第三セット5オールのタイになった。

シュテフィはサービスをキープしたが、それは長く消耗させられるゲームだった。互いに全力で相手をたたきのめそうとし、ポイントごとにふたりは明らかに疲労困憊していった。ガビーのグランドストロークが少しずつ短くなり、とうとうシュテフィはゲームを押さえた。

6−5,そして、ガビーは次のサービスをキープしなければならない。彼女は最初のポイントを取ったものの、続く4ポイントは瞬く間に手放してしまった。シュテフィが勝ち、ふたりはネットでごく普通の握手を交わした。シュフィは唇を噛み頭を右に傾けて、まるで仲間でありダブルスパートナーでもあるガビー謝っているようだった。ガビーはうなづいて手を広げ、シュテフィが見せた気持ちに静かに答えた。

二日後、太陽はセンターコート上に高く昇っていた。シュテフィが入口のトンネルから出てきた時、彼女は突然の明るさと観衆の多さに目をしばたたかせた。スタンドはぎっしりと埋まり、決勝を待つ興奮で脈打っていた。

シュテフィはナブラチロワに続いてコートに入った。マルチナは準決勝でクリス・エバートを完全にうち負かし、自信満々に歩いていた。彼女は三月のシュテフィに対する敗戦をフロックにすぎないと割り切っていた。あの日コートを吹き荒れた風が彼女のフォアハンドボレーに悪い影響を与えたのだ。彼女は素晴らしいプレーができていたし、ここで三つめのフレンチのタイトルを取ることに何の疑いも抱いていなかった。

1987年6月6日、ノルマンディ上陸作戦、Dデイの記念日だ。43年前、連合軍はノルマンディに上陸し、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツへの最後の総攻撃を開始した。そのようなわけで、フランスの観衆がドイツからやってきた新しいスタ
ー 、シュテフィ・グラフにこの日どのような反応を見せるかには少し疑問があった。答えはふたりのプレーヤーが紹介されるとすぐにはっきりした。

マルチナは暖かく尊敬に満ちた拍手で迎えられた。しかし、シュテフィの名前が音響システムを通じて巨大な競技場に響きわたると、観衆から大きな歓声がわき上がった。その歓声は試合の間中、年をおうごとに高まっていき、やがて「シュテッフィ、シュテッフィ、シュテッフィ!!」の叫びはセンターコートにすっかりおなじみのものとなる。

現チャンピオンと未来のチャンピオンの戦いは、最初のポイントからふたりがその信じられないような運動能力を示して、緊迫したものになった。ファーストセットの開始から1時間、劇的な緊張感のあるゲームがやってきた。

4−5となってマルチナのサービス。縁起をかつぐマルチナはツキに見放されつつあるのを自覚せざるをえなかった。彼女がベースラインに立ってサービスの体勢に入った時、強い風がコートに吹きつけ、舞い上がったほこりが彼女の目を射た。風は試合の間中やむことなく吹き続け、コートの表層を吹き飛ばし、ボックスシートのお金持ち連中にひどい思いをさせた。マルチナは嫌な予感に襲われていた。二ヶ月前のリプトンでのあの日のことが突然脳裏をよぎった。

彼女は次の4ポイントを慎重にプレーした。しかし、シュテフィはそうではなかった。彼女はコートの両サイドに強烈なショットを打ち込み、マルチナがどうするべきかに気づく前に4ポイントをもぎとってファーストセットをものにした。

セットポイントが決まった時、観客からは大きな歓声があがり、シュテフィは喜びの叫びをあげた。初めてのグランドスラム決勝で、最初のセットを手にできたのだ。マルチナはベースラインに立ちつくし信じられないという風に頭を振った。彼女が三月にシュテフィに破れた時に言った言葉がよみがえってきた。「今日、彼女は世界一のプレーヤーよ。多分次に私が彼女と戦うまではね」

セカンドセット、マルチナは厳しい戦いを挑み、第3ゲームでシュテフィのサービスを破った。シュテフィはブレークバックして4オールにしたものの、すぐにまたマルチナにブレークされた。マルチナがセカンドセットを取った時、試合は二時間近くになって再び振りだしに戻っていた。

サードセットは驚くべきものになった。マルチナは早い段階でシュテフィのサーブを破り、シュテフィはどのサービスゲームもキープに苦しんだが、3−5とするゲームではようやく彼女自身の調子を取り戻し、四本の見事なショットを決めてサービスをキープした。チェンジオーバーのチェアに座ったふたりには次のゲームが試合で最も大切なゲームになることがわかっていた。

マルチナは彼女のサービスゲームをいつものサーブ・アンド・ボレーで始め、シュテフィはパッシングショットをネットにかけて最初のポイントを失った。次のポイント、マルチナはシュテフィの低く沈むリターンをネットにかけた。15オール。

マルチナはファーストサービスをフォルトした。彼女がセカンドサービスのモーションに入ろうとした時、スタンドの誰かが声をかけ、集中を乱されたマルチナは夢中になりすぎているファンにいらだちの叫びをあげた。彼女はもう一度サービスをしたが、ボールはやっとネットに届いただけだった。

最もむずかしい局面でのダブルフォールト。「ネットを越すのよ、憶病者!」彼女が愛想をつかしたようにこう自分自身を叱りつけた時、マルチナの精神状態は明らかにおかしくなっていた。この神経過敏の兆候を見てさえ、マルチナとシュテフィを含むスタジアム中の誰もが彼女がもう一度ダブルフォールトを犯すとは思ってもいなかった。しかし、彼女はやってしまった。観客席はこれからおこることを予感して、大きくどよめいた。シュテフィにブレーク・ポイントふたつ。もし、彼女がそのうちのひとつを勝ち取ればサードは5オールのタイになる。

30−40、シュテフィはバックハンドのサービスリターンの後、ネットに出てくるマルチナに強烈なフォアを浴びせた。マルチナはボレーをコントロールすることができず、ボールはベースラインを長くはずれた。観衆は大騒ぎになった。しかし、それもマルチナの怒り狂った叫びが聞こえた時、静かになった。これまで自分自身に対してこれほど腹をたてている彼女を誰も見たことがなかった。マルチナは少女を生き返らせてしまったのだ。

シュテフィはこのチャンスを逃さず、次の自分のサーブは切れのいいボレーを決めてキープした。気持ちの平静を保ってサーブをキープした方がこの試合に勝つということがはっきりしてきた。ひとつひとつのゲームがふたりのプレーヤーにとって厳しい試練になった。マルチナはいいプレーでセットを6オールにし、今度はシュテフィのサーブにプレッシャーがかかる番だった。第13ゲーム、ふたりは果敢に攻撃しあった。マルチナがブレークポイントを握ったが、シュテフィはそれを逃れ、マルチナのフォアがアウトしてシュテフィがそのゲームを押さえた。

6−7でマルチナがサービスを迎えた時、再び風が強くなった。しかし、彼女のファーストサーブは素晴らしかった。グランドストロークの応酬の末、シュテフィのパスがマルチナを抜いた。0−15。次のマルチナのファーストサーブは長くはずれ、彼女は自分自身に怒り狂って叫んだ「トスを上げるのよ!」。彼女のセカンサーブは良く、シュテフィのパッシングショットを予測して鋭いボレーを決めた。15オール。

マルチナは再びネットに出てシュテフィのリターンを手際よく仕留めようとした。しかし、それを待っていたシュテフィは素早くボールをとらえ、マルチナの反応より先にパッシングショットをたたきこんだ。15−30。次のポイントでマルチナは見事なボレーを見せた。シュテフィは考えられないほどのスピードでそれに追いつき、パスを放ったが、わずかにベースラインを越えた。30オール。

マルチナの次のサーブは強さも深さも十分なものだった。しかし、シュテフィはそれを前でとらえ、ネットに出てくるマルチナの足元に低く沈むボールを返した。マルチナのボレーはそれをうまく処理できず、ボールはネットの下に当たった。「オー、ゴオーーッド」彼女の苦悶の叫びが観衆の熱狂した叫びと入り交じって響いた。シュテフィ・グラフのマッチポイント。

マルチナのファーストサーブはネットの下に当たった。シュテフィの目は驚きのために見開かれ、再び集中するために細められた。彼女は左に動いてマルチナにプレッシャーをかけた。もし、次のサーブが甘いものだったら、すかさずフォアでたたく、と。その動きはナーバスになっているマルチナには十分すぎるほどだった。彼女はサービスをしたが、それはラインを越えてしまった。審判の「フォールト」の声は観衆の叫びにかき消された。彼らのお気に入り、彼らの17歳のチャンピオンは勝ったのだ!

明らかに落ち込んでいるマルチナに勝利の喜びをみせつけないようひどく気をつかいながらシュテフィはネットに走っていった。ふたりのプレーヤーはネットで握手を交わした。シュテフィはチェアに戻るとタオルに顔を埋めて、少し泣いた。彼女のキャリアで最も素晴らしい瞬間だった。

彼女が人々とわかちあうためにトロフィーを掲げて見せたとき、観客たちとシュテフィの間に愛情物語が生まれた。パリの人々にとって彼女は新しいチャンピオンであり、ヨーロッパ人のチャンピオンでもあった。長年にわたってマルチナとクリスに制覇されてきたこのトーナメントでそれは本当に久しぶりのことであり、観衆は彼らのチャンピオンとしてシュテフィを暖かく迎え入れたのだった。

優勝スピーチでどうふるまっていいかわからずに見せた彼女のとまどい、勝利の喜びを述べると同時に敗れたマルチナに見せた心遣い、シュテフィはフランスの人々の心にしっかりと根をおろした。この愛の絆は年々強まるばかりだった。その後、フランスの観客はシュテフィに何度も感激の涙を浮かべさせることになる。彼らは無条件でシュテフィを愛し、何度も彼らの心を示してみせた。シュテフィを愛したら、それは十倍になって返ってくるのだ。

彼女は1987年、史上最年少のフレンチ・オープンチャンピオンとなり、そのタイトルを1989年まで保持した。彼女の最初のグランドスラム・タイトルだった。こうして彼女のグランドスラム制覇は始まった。

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