マイケルの経歴

ユアン カン チャンによるマイケルの略歴


1972年2月22日

ニュージャージー州ホボケンで誕生

1978年

初めてラケットを握る

1984年

USTAジュニア ハードコート選手権のシングルスで、初のナショナル タイ トルを取る。

1987年

USTA男子18才以下ハードコート選手権で優勝し、18才以下の部のナシ ョナル タイトルを取った、最年少選手になる。

1988年2月

カリフォルニア州プラセンチアの学校の10学年でGED認定試験に合 格したので、学校を止めてプロ ツアーに専念することにした。16才 でプロに転向したわけだが、早速、リーボック及びプリンスと宣伝契約 を結んだ。

1988年10月

トランスアメリカ オープン大会の決勝で、ヨハン クリークを破って、 ツアー初優勝をかざり、ランキングも28位に上昇。この年のツアー の新人賞とテニス マガジンのその年の新人賞を受賞。

1989年6月5日

ランキングNo.1のイワン レンドルを全仏で下す番狂わせを演じる。

1989年6月11日

ランキングNo.3のステファンエドバーグを決勝で破り、これ までのベッカーの記録をも上回る、17才3ヶ月という、グラン ドスラム大会の史上最年少の男子チャンピオンとなった。ランキ ングもNo.6に上昇。

1990年10月

米国のデ杯選手に選ばれ、対オーストリアの準決勝戦に出場。2対2 のタイスコアで迎えた第5試合に出場し、オースト スコッフと対戦 した。セットカウント1対2で日没となり、翌日再試合となったが、 結局、5セットの末に逆転勝ちを収め、米国の決勝進出を決めた。

1990年12月

オーストラリアとのデ杯決勝戦に勝ち、米国に8年ぶりの優勝をもた らした。

1991年9月

USオープンの3回戦で、ジョン マッケンローを5セットの末に破り、 ランキングNo.28からトップ10への返り咲きが始まった。兄のカ ールが正式なコーチに就任。

1992年7月

米国代表選手に選ばれ、バルセロナ オリンピックに出場。

1992年9月

ランキングNo.4(今までで最高)で、USオープン準決勝まで進んだ が、エドバーグに5セットの5時間26分というUSオープン史上最長 試合で、敗れる。

1993年

アジア進出が始まり、5大会中4大会に優勝。年末に、IBM/ATPツアーの チャリティー委員長に選ばれる。

1994年

6大会(ジャカルタ、フィラデルフィア、香港、アトランタ、シンシナティ 、北京)に優勝。

1995年2月

USAトゥデイ ウイークエンド紙の「最も人気のある運動選手」の5人 の内の1人に選ばれる。

1995年6月

全仏の決勝に進出するも、トーマス ムスターに敗れる。

1995年11月

ATPワールド チャンピオン大会で、ピート サンプラス、ジム クー リエ、ムスターを破って、この年2度目のメジャー大会での決勝進出 を果たすが、ベッカーに敗れる。

1996年1月

全豪で、3度目のグランド スラム大会の決勝進出を果たすが、再び、 ベッカーにストレートで敗れる。

1996年2月

1990年以来のデ杯出場を果たし、米国がメキシコを下すのに貢献。