チャンが引退?
2002年の香港オープンの大会を前にして、毎年出場しているチャンは、「今週が香港でプレーする最後だろう」、「引退を考えてている。情熱はあるが勝つのがだんだん難しくなって来ている」と、発言した。1989年に17歳3ヶ月という史上最年少で全仏を制したチャンも、30歳になっていよいよ引退を考えているのは事実のようだ。
全豪は1回戦で敗れる!
今までも全豪では余り良い成績は残していないチャンだが、2002年の全豪も、スイスのロガー フェデラーとの1回戦で、4―6、4―6、3―6のストレート負けをきっしてしまった。
鈴木貴男に破れベスト8に進めず
10月1日からはじまったジャパンオープンに来日したチャンは1回戦2回戦は無難に勝利。しかし10月4日の3回戦の相手は鈴木貴男。第一セットをタイブレイクに持ち込まれ、鈴木のサーブに押されてこのセットを失う。鈴木にとってはビッグネームの選手に勝つチャンスで声援が益々盛り上がる。いつもはこのような自分に不利な環境になればなるほどそれをはねのけて熱い闘いを見せるチャンだが、今回は違った。鈴木の気迫のこもったサーブに押されてリターンのミスが目立つ。結局、6ー7、2ー6で破れベスト8進出はならなかった。
2001'USオープン
1987年に15歳でツアーに参戦し、小兵ながら立派な成績で日本にもファンが多いチャンだが、今年は、全豪汢戦、全仏とウインブルドン2回戦、USオープン汢戦負けで、出場した全大会で準々決勝以上に進出したことがない結果だ。引退説もささやかれているが、本人は、「テニスをプレーするのが楽しくないと言う日が来たら、ファンのためにも態度を明確にすべきだとおもうが、そこまでにはなっていない。トップに返り咲くことを夢見ていると言う訳だはないが、未だ、打開の余地はあると考えている」と、引退は否定している。
「久しぶりに日本のファンに顔を見せたが、2回戦で敗退」
マイケル チャンが久しぶりに来日し、10月9日から始まったジャパン オープ ンで、No.5シードとして登場した。日本での人気は依然として高く、11日 のC.マミット(アメリカ)との2回戦でもファンの声援は熱かった。しかし、 ここというポイントは必ずものにするチャン独特の粘りが見られず、5ー7、4 ー6のストレートで敗退した。未だ二十代なので、もう一花咲かせて欲しいと日 本のファンの人達は熱望していることだろう。
げんの良いローランギャロで復活を期待されたチャンだったが、3回戦でクエル テンに敗退!!
(2000.6.15)
1989年に17歳3月という最年少記録で優勝したチャンにとっては、ローラ ンギャロは彼のテニスの原点であり、この所の不振を一気に挽回する良い機会に なると大きな期待がかかっていた。パリに来ると、さすがに違う。元チャンピオンの意地と風格が随所に見られ、1回戦、2回戦と回を重ねる毎に、彼本来の速い動きと見事な予測、そして、最後の瞬間での切返しのショットが冴えてきていた。3回戦の相手は、97年のチャンピオンで23歳のクエルテン、はからずも新旧 チャンピオンの対決となった。1セットはクエルテンが6ー3で取ったが、2セ ットに入るとシーソーゲームとなり、タイブレークにもつれこんだ。こうなると、チャンの粘りがものを言う。一進一退となったが、最後はチャンがクエルテンのミスを逃さず11ー9でこのセットをものにした。しかし、このプレーで気力と体力を使ってしまったかのようなプレーが続き、あっという間に1ー6で第3セットを失った。しかし、さすがはチャン、ここから思い切ったネットプレー を交えて盛り返して互角の闘いとなった。しかし、主導権を握る所までは行かない。ネットを取るチャンのテニスに最初はやられていたクエルテンのパッシングが決まりはじめ、最後は2本連続で決まって、この試合の決着がついた。結局、 第5シードのグスタボクエルテンに、3ー6、7ー6、1ー6、4ー6で敗れて、レッドクレーのローランギャロから姿を消すこととなった。その後のクエルテンが優勝したことを考えるとチャンの復調は本物で、28歳になったチャンのテニスのモデルチェンジが成功しつつあることを強く感じさせた。今後の活躍を期待したい。
2000年のスタートに選んだ、ニュージランドのオークランドで行われたハイ ネッケン オープンでは、決勝に進出した。久しぶりの優勝が期待されたが、ス ウェーデンのマグナス ノーマンに6ー3、3ー6、5ー7で惜しくも破れ、準優勝に終わった。
次の全豪では、スイスのロジャー フェデラーに、4ー6、4ー6、6ー7のス トレートで破れて2回戦への進出はならなかったが、そのスコアが示すように粘り強さが戻りつつあり、1セット取っていればどうなったか判らない試合であった。
まずまずのスタートが切れたので、少なくとも昨年よりは良い成績が期待される。