マイケルとキリスト教信仰


 上の写真は、1996年のUSオープンの3回戦の対ビンス スパディア戦の時のものだ。状況が不利な時でも、マイケルは、神が見守ってくれている事を知っている。この信仰が、マイケルの生活、精神、人間性にとって最も重要な点だ。マイケルはテニス界で超有名であるが、成功に酔うことなく、そのルーツを忘れないようにしている。マイケルは、記者会見でよく信仰のことを話すが、彼がいつもキリスト教の信仰に凝り固まっているというわけではないことを知って、驚く人も多い。よちよち歩きの頃は、教会に行くのに気が進まなかった。説教は退屈で、彼はとても内気だったために、多くの人と話すことが出来なかったからである。

 しかし、マイケルが完全に教会から離れることは出来なかった何かが、そこにはあった。日曜学校で学んだ旧約聖書の物語は好きだったし、ヨナの話とか、大きな鯨の話とかは、魚が好きだったので、大好きであった。
  成長するに従って、教会への関心は薄れて行った。 説教はおもしろくなかったので、テニスの練習や学校の宿題で忙しいと言い訳しては、教会に出るのを断っていた。彼の祖父母が、彼の誕生日に聖書を贈ったが、それは、ほこりを被ったままになっていた。

 しかし、十代の初め頃、2つの大きな事件があり、マイケルは、ジーザス キリストを信じるようになる。その1つは、教会で「ベッティ おばさん」と呼ばれていた婦人による説教で、彼女は、沈みそうなボートにまつわる不思議な話をし、岸にたどり着くための苦境について話した。この話の精神は、必要な時には、誰もがお互いに頼りあう必要があるというものだった。
  マイケルは、彼が聞いたことのある説教の内で最もおもしろいと思ったが、教会にいる人達はお互いに頼りあっていることが判ったので、それ以後は、彼らに近ずくことが気にならなくなった。

  2つ目は偶然の出来事だが、さ細なことというのでもなかった。ある日、家の掃除をしていた時、聖書が棚に並んでいるのを見つけ、何もすることが無かったので、それを読み始めたのだった。そこに書かれていたいたことは時代遅れではなく、何時でも、どんな人にでも当てはまるものであることを知って、驚嘆したのだった。愛、友情、困難や怒りへの対処法、小鳥や蜂についての話が載っていたのだ。

 だから、マイケルは、しだいに、愛する家族と幸せな生活が持てていることを幸運と思うようになり、彼の周りの人や物事に感謝するようになった。例えば、今まで家では避けていた祖母に対して、彼女ががみがみ言うのは彼を愛していてくれるからだと思うようになったのだった。

 1988年10月、ツアーで初優勝した時期に、マイケルは、カリフォルニア州サウザンドオークにあり、祖父も設立者の1人である中国系キリスト教会に入信し、自分の信仰を公言するように決めたのだった。

 そして、この事により、キリスト教徒であることに、最早悩む必要は無くなったのだろうか?その答えはノーだ。キリスト教徒であろうがなかろうが、人は、毎日困難に直面するものだが、マイケルも同じであった。キリスト教を信仰するということは、長い人生の過程で、敬けんで忠実な人生を送ることを教えることに他ならない。だから、マイケルは、自分が超有名人であるために、人々が自分の動向や言動や足跡を真似ることを知っている。だから、謙虚、他人の尊敬、高い道徳心を持って、「キリストのようなイメージ」で、人々に接したいと思っている。

  一人ずつ話をするのは得意ではないので、彼は、機会がある度に、語録として広めたいと思っている。このために、チェンジコートの間に頭を下げ、試合後には祈りを捧げ、勝っても負けても教訓が得られるので、試合後のスピーチやインタビューの時に、神をたたえるのだ。

 マイケルの宗教的な信念を批判する人は多い。チャン一家はカルト集団だという記者もいるし、1988年の全仏で優勝した後、イエスがステファン エドバーグに何かしたのかという質問をした記者もいた。このような場合に、神は誰も味方をするようなことはしないという大事な視点が欠けているといえる。神は、皆を見守ってくれており、最後は、神の慈悲と加護を受けた個人しだいで決まることになる。

 外国語に翻訳すると意味が判らなくなってしまうように、言い換えてかえって判らなくしてしまうのがマイケルの特徴だが、彼は、いつも、友人やファンに対して、何が大きな喜びをもたらしてくれるかについて証言しているのだ。現代風に言うと、「エイズの治療法を見出した様なもので、皆がその病気から直るように、世界の人とその方法を分かち合いたいと思う」と言うようなものだ 。