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美しい容姿以上の何かを
 
1999.5.27(CBS SportsLine)

パリ--27日、フレンチオープン二回戦でアンナ・クルニコワはエイミー・フレイジャーと対戦し、6−4,6−1で勝利した。テニス界のピンナップクイーンは鮮やかなエース、デリケートなドロップショット、絶妙なリターンとコケティッシュな微笑で観客を魅了した。

同じ時、コートの周りではクルニコワのファン(ほとんどが10代の少年たち)は「ゴールデンガール」と書かれた彼女のポスターを掲げて、まるで彼女が優勝したかのような騒ぎだった。

しかし、プロになって四年、彼女にはまだ優勝がない。決勝に進んだのもわずか2回。この程度の成績で彼女がここまで騒がれるのは長いブロンド、エキゾティックな容姿を抜きには語れない。

彼女はまだ17歳で、キャリアは始まったばかりとも言えるが、ナンバーワンのヒンギス、パワーヒッターのウイリアムズ姉妹など同世代のプレーヤーからは水をあけられ、むしろ、ジュスティン・ヘニンやミリヤナ・ルチッチといった新星に並びかけられている。

クルニコワのランキングは20位にすぎないが、パパラッチの数では間違い無くナンバーワンだ。自分のグラマラスな容姿が取り上げられる事についてクルニコワは「そのことについては考えていません。私がここにいるのはテニスのためです。もし私がテニスプレーヤーでなかったら、私が通りを歩いていたとしても誰も気づかなかったでしょう」と言う。

でも人々は彼女を追いかけているのだ。

インディーカーのコクピットでポーズを取ったり、スパイス・ガールズやボーイフレンドであるアイスホッケーのデトロイト・レッドウイングスのセルゲイ・フエドロフとパーティに現れたりと彼女の記事や写真を載せる雑誌・新聞は数え切れない。

フレンチオープン直後に18歳になるクルニコワはそろそろ容姿だけで騒がれることにうんざりし、自分がまともなプレーヤーとして考慮されなくなるのではないかと危機感を抱いているようだ。

彼女が最近マネージメント会社を変えた背景にはもっとコートの上での自分を見てもらいたいという気持ちがあるようだ。

「変わったらいいなと思います。新しいステップですから。でも、私はそれほど気にしてはいません。私がここにいるのはテニスをするためなんです」

 

リプトン選手権、四回戦で敗れる
 
1999.3.23

アンナ・クルニコワはリプトン選手権の四回戦でバーバラ・シェットに1−6,6−1,1−6で敗れた。

 

リプトン選手権、ベスト16へ勝ち進む
 1999.3.21

フロリダ州キービスケインで行われているリプトン選手権で第13シードのアンナ・クルニコワは二回戦でクリスティーナ・ブランディを6−7(9−11),6−0,6−2で、三回線ではジュリー・ハラルド・デュカキスを6−4,7−6(7−5)でそれぞれ下し、四回戦に駒を進めた。

 

エバートカップ一回戦で敗れる
 
1999.3.6(CBS SportsLine)

インディアンウェルズ−−カリフォルニア州インディアンウェルズで行われているエバートカップ一回戦で、第9シードのアンナ・クルニコワはシルビア・ファリナに7−6(7−3),1−6,7−5で敗れた。クルニコワはインフルエンザにかかっていた。

「先週のオクラホマは厳しくて…まだ完全に治りきっていないんです。肉体的にまだ100%ではありません」とクルニコワは言った。

 

東レPPO準々決勝、セレスに敗れる
 
1999.2.5

東レ・パンパシフィック・オープン準々決勝、第6シードのアンナ・クルニコワは第4シードのモニカ・セレスに7−5,6−3で敗れた。

 

東レPPO、準々決勝でセレスと対戦
 
1999.2.4

東レ・パンパシフィック・オープン二回戦、第6シードのアンナ・クルニコワはカーラ・ブラックを6−2,6−3で退け、5日の準々決勝でかつてのナンバーワン、モニカ・セレスと対戦することになった。

 

東PPO一回戦、フーバーを破る
 1999.2.2(CBS SportsLine)

東京 東レパンパシフィック・オープン一回戦、アンナ・クルニコワはサーブの問題を持ち越してはいるが、アンケ・フーバーを7−6(7−4),6−0で破った。

第6シードのクルニコワは最初の二つのサービスゲームで早くもふたつダブルフォールト。ファーストセットは双方とも自分のサーブを一度しかキープできなかった。

「彼女(フーバー)は私と同じように問題を抱えていたと思います」とクルニコワ。

ファーストセット、フーバーはミスが多くクルニコワを追いつめることができなかった。特にタイブレーク4−4でのダブルフォールトは痛かった。

世界ランク12位のクルニコワはセカンドセットに入るとサービスがぐっと良くなり、簡単に勝った。ファーストセットはここの速いサーフェスに慣れるのに時間がかかったとクルニコワは言った。

 

オーストラリアン・オープン四回戦、ピアースに敗れる
 
1999.1.25(SportsLine)

メルボルン−−メアリー・ピアースはメルボルンパークのセンターコートでアンナ・クルニコワを6−0,6−4で破った。95年のこの大会優勝者であるピアースは準々決勝で第2シード、ディフェンディング・チャンピオンのマルチナ・ヒンギスと対戦する。

ウインブルドン・セミファイナリストのクルニコワはセカンドセットの途中に2回コートサイドで右肩の治療を受けた。第12シードの彼女は今大会サーブの不調に苦しみ、一回戦、二回戦ともに接戦の末に勝っていた。

彼女のサービスはダブルスパートナーのヒンギスを含め、選手間では冗談の対象になっていた。この試合ではダブルフォールトは5回になり、そのうち3つは19分で終わってしまったファーストセットでのものだった。

「サーブの感触はいいです。100個のボールだって続けて入れられると思うから」とクルニコワは言った。彼女は試合全体で2度しかサービスをキープできなかった。ピアースのサービスを2度ブレークしたが、すぐに自分のサービスを落とし、勝利の望みは無くなってしまった。

 

やわらかなサーブ、四回戦へ
 
1999.1.23(CBS SportsLine)

メルボルン−−オーストラリアン・オープン三回戦、第12シードのクルニコワは今日も二ケタのダブルフォールトを記録しながら勝ち残った。

31のダブルフォールト量産から2日後、クルニコワは少し調子を取り戻し、4−6,6−2,6−3でアンドレア・グラスを破った。

クルニコワはファーストサーブの平均時速を123kmに、セカンドサーブは111kmにおさえていたが、それでも14のダブルフォールトを犯した。しかし、彼女はサービスをよくコントロールし、ファーストセットには10回あったダブルフォールトが急激に減ってセカンドセットでは3回、サードセットでは1回になった。

「私のサービスはずっとずっと良くなりました。だから今日の自分の出来はとてもうれしい。プレーは試合毎に良くなっています」と17歳のクルニコワは言った。彼女は四回戦で第7シードのメアリー・ピアースと対戦する。

 

エラーの海をサバイバル、二回戦に辛勝
 
1999.1.21(CBS SportsLine)

メルボルン−−31のダブルフォールト。しかし、アンナ・クルニコワは生き残った。

彼女には本来終わっているはずの試合をさらに一時間続ける大苦戦の後、多くの親切なアドバイスと日焼けが残った。

彼女のサーブはたびたびラインを越え、あるいはネットを揺らした。それでも三千人の観衆はこの魅惑的なティーンエイジャーに熱狂的な声援を送り二時間半に及んだオーストラリアン・オープン二回戦を楽しんだ。

彼女はまず最初の二度のマッチポイントを21番目と22番目のダブルフォールトで逃した。サードセット、彼女は5−0とリードしたが、23番目のダブルフォールトをきっかけにそれから連続5ゲームを失い、1−6,6−4,10−8で80位の佐伯美穂にようやく勝った。

第12シードのクルニコワは三回戦で74位のアンドレア・グラスと対戦する。
「練習ではサーブに問題はないんです」とクルニコワは言った。

クルニコワの悲劇はここ四試合で91のダブルフォールトという記録だけではすまなかった。6−5で三度目のマッチポイントを握った時、彼女は簡単なオーバーヘッドをネットにかけた。

9−8で彼女は4つブレークポイントを握った。佐伯は最初をドロップボレーで逃れたが、次のポイントではバックのクロスコートショットがサイドラインを越え、クルニコワは最初のマッチポイントから55分かかってようやく試合を終わらせることができた。

クルニコワは佐伯と握手を交わした後、タオルを被ってしばらくチェアに座り込んでいた。そして、その後2つサインをしてコートを離れた。

「日焼け止めをぬっていたんですが、鼻を日焼けしちゃった。がんばれて良かったし、終わってほっとしています」とクルニコワは言った。

クルニコワのサーブの問題に同情しているプレーヤーは多い。

「誰もがその話をし、そのことについてたずねるから問題が余計に難しくなってしまうのでしょう」とグラフは言った。彼女は肩の回転に問題があると考えている。

クルニコワは腕の動き、精神的なことなど自分のサーブについてのいろいろな質問を聞いた後、何も答えずに、「何かもっと楽しい話をしましょう」と言った。

ダブルフォールト問題について彼女は「このところずっとなので慣れてきました。でも、見ている人もそうでしょうが、私自身も本当にいらいらさせられます。練習では私のサーブはいつもどおりで、ダブルフォールトの気配などないんです。試合でベースラインに立つと何かが起きてしまうんです。なんとか乗り越えて行かなくては」と語った。

試合中、ファンたちはクルニコワのウイナーに対して最前列の座席前に張られたキャンバススクリーンをどんどんたたき、佐伯のエラーに大げさに声をあげて喜びを露わにし、クルニコワのサーブのミスにはラインコールにブーイングをし、セカンドセットで彼女がトイレ休憩から戻ってきた時にはスタンディングオベーションで迎えたりした。

佐伯はあのような雰囲気の中でプレーするのは難しかったと語った。誰も彼もがクルニコワに声援を送るものだから、ビッグネームと対戦していることさえ忘れそうになったという。

「フォールトが多すぎてサーブのコースを読むことができませんでした。
急にいいファーストが入ってくることもありましたし」と佐伯は言った。

 

23のダブルフォートを記録しながらも二回戦へ
 
1999.1.19(CBS SportsLine)

メルボルン−−アンナ・クルニコワは23のダブルフォールトという荒れ球サーブの珍奇な戦略で二回戦に滑り込んだ。

これは9つのサービスブレークを生み出した超攻撃的なリターンゲームによって始めて可能となったスタイルだ。第12シードのクルニコワは7−6(7−1),7−5でアメリカの予選勝ち上がり152位のジル・クレイバスに勝ってオーストラリアン・オープンの二回戦に進んだ。

17歳のクルニコワはダブルフォールトなど意にも介さず−ファーストセットだけで17回あった−ゲームを拾い上げるのに専念した。

「なんとかがんばってゲームにしがみついていこうと思っていました。もっと積極的にいくべきだったかもしれませんが、試合の後半になってそのことに気づきました。最初からそうすべきだったのです」

クルニコワは自分のサービスに問題があるのがわかっていた。ここ3試合で62回ものダブルフォールトを記録しているのだから。「精神面が半分、技術面が半分」と原因について彼女は言う。

「でもそれほど大問題ではありません。誰かがフォアハンドでミスをしたって誰も気がつきませんが、ダブルフォールトだとたまたまみんなわかるだけのことです」

クルニコワのように簡単にポイントを稼げるサービスを持っているのは女子選手はもちろん、男子でもわずかしかいない。だからいきおいエラーも多くなる。彼女のファーストサーブがひとたびヒットすると、クレイバスは驚きの表情を浮かべてただ見送るしかなかった。

 

シドニー二回戦、ダブルフォールトに沈む
 
1999.1.13(CBS SportsLine)

シドニー−−アディダス・インターナショナル二回戦でアンナ・クルニコワは16のダブルフォールトをおかし、6−1,6−2でドミニク・ヴァン・ルーストに敗れた。一回戦ではさらに多い23のダブルフォールトを記録したが、シルビア・ファリナに勝利していた。

「努力しましたが、うまくいきませんでした。集中しようとしすぎたわけではありません」とクルニコワは言った。

 

チェース・チャンピオンシップス一回戦でセレスに敗退
 
1998.11.18 (CBS SportsLine)

ニューヨーク−−セレスとクルニコワの一回戦は”エラーコンテスト”になった。
最後のポイントではそれを象徴するようにバックハンドのサービスリターンが長くはずれ、セレスがサービスをキープして6−4,6−3で勝った。19ゲームのうち、10ゲームがサービスブレイクだった。

「今夜の試合に出場できたのはラッキーでした」と日曜の午後から体調を崩していたセレスは言った。「どこまでプレーできるかわからなかったので、とにかくベストなショットを打とうと心がけました」

クルニコワも決して良い出来ではなかった。彼女は17のダブルフォールトをおかし、その中には1ゲームに5回というのも含まれている。それでも彼女は持てる才能の一端をかいま見させるウイナーを放った。彼女のグランドストロークはセレスよりも歯切れがいい。セレスがコートの一方に立ち、クルニコワのウイナーをただ見守るだけというシーンが何度も見られた。

これが最終戦デビューのクルニコワはいくつものドロップショットを決めてセレスの動きの悪さも露わにした。しかし、最終戦に三度の優勝経験があるセレスは大事なところでポイントをあげ、グラフが待つ準々決勝へ駒を進めた。